四国という地に生まれ育ち、八十八か所参りのお遍路さんの祈る姿を当たり前に見て育ちました。
自宅のすぐぞばには、災害時ご近所の避難所にもなっていた祖父が建てた神様の家なるものがあり、放課後はよくそこで遊びました。
そして、小学校へ通学する途中にあるいの町大黒様の鳥居の前で祈るお年寄りのように、一度立ち止まりお辞儀をして通ることを当たり前として育ちました。
同じく通学途中の山際の大きな岩の間に祭られていた
お地蔵様には、給食のパンを残しては帰り道にお供えし、それを会社帰りに見つけた親父様(その道しかないので)に「給食を残すな
」と毎夜叱られ(何故か私とバレていた
)ていました。
お供えをせずお地蔵様の前を通り過ぎることを悪いことと思っていたのか?
ただ給食のパンが嫌いだった
からなのか?
よくわからないけれど、給食がご飯で(月に一度)お供えをせず帰る時は、心の中で「ごめんなさい」とあやまり
胸がドキドキしながら小走りで帰ったのを覚えています。
今のように道幅は広くなく、バスが通ると
山際の崖にへばりつかないと当たってしまうような道
今日はお母さんいる?
お母さんいますように
そうお地蔵様に願いパンをお供えする。
そんな帰り道
両親がそれぞれの人生を生きると決めるまでの数年間、学校帰りの私をいつも優しく迎えてくれたのは神様の家であり・大黒様であり・お地蔵様であり山・川・空・風でした。
寂しい時はなぜだか優しい風が吹く
サワサワと葉っぱが揺れる
当時私にはその音が「おかえり」という言葉に聞こえ、嬉しくて
山に向かい「ただいまー」と大きな声で叫びながら帰ったものでした。
母がプチ行方不明
になって帰らない時は、夏は朝から浮き輪に乗り、プカプカと何時間も川に浮かんでいれば地球に包まれているようで安心する
冬なら裏山の鉄塔に登り、遠くを眺めながらおやつを食べ、眠くなったら山でお昼寝
すると大地に包まれているようで安心する
純真無垢な私には、神様やお地蔵様・そして自然そのものが心の拠り所でした。
成長するにつれ純真?無垢??...何だそれ???
随分と程遠くなってしまいましたが
いまも忘れることのない思い出です。
さてここからはお知らせです
誰もがご存じの世界遺産『高野山』
高野山の豊かな森を後世に...
~いのちあるものが共に生き、共に生かしあう。未来のために今できること~
一口2000円、献木(ご寄付)という方法で【信仰の森】といわれる高野山の巨木群をまもり、後世に残すお手伝いができます。
貴重でありがたい記念品もいただけます。
詳しくお知りになりたいという方は下記までお問合せください。
※献木(寄付)の振込用紙は、パールヴァティにも数枚ありますのでご希望の方はどうぞ。
お問合せ
総本山金剛峯寺山林部
〒684-0294
和歌山県伊都郡高野町高野山132
0736-56-2016
0736-56-4640
『「医王の目には途に触れて皆薬なり」
皆が踏んでいく雑草も、見る者の目が価値を知っていれば薬である。
自身の見る目を研ぎ澄ましなさい。
良いところを見つけ出せればこの世は極楽
死んでから行くのが極楽ではなく現実世界を極楽にする』
~by.総本山金剛峯寺 第412世座主 松長有慶(TV徳さんのお遍路さんより)~